42.神との対話【解説】P65~67 自然の法則③「すばらしい約束」
前回神さまは、自然の法則を思い出すためには外の世界を静かにさせて自分の内側の世界が見えてくるようにしなさいと、ニールさんに教えました。
そうすれば洞察力が得られ、自然の法則を思い出して、思い通りの人生を送れることが約束されていると、ニールさんは教えられました。
それまでの人生でたくさんの苦しい思いを重ねてきたニールさんは、神さまのその教えに対して、あまりにも簡単で非現実的な約束だと感じ、神さまに「それは現実にしてはすばらしすぎませんか?」と質問しました。
この質問に対する神さまの回答は、以下の通りです。
神の約束なら、それが当然ではないか?
神との対話1 P65
わたしがすばらしくない約束をすると思うのか?
何千年ものあいだ、人々はほんとうにしてはすばらしすぎる、というばかばかしい理由で神の約束を信じなかった。
私たちは、自分の内側に入り、内側にある世界を見つめることでハイアーセルフ=ハイアーマインドに近づくことができます。
ただそれだけで、神の特徴である「無条件の愛」や「創造する力」を手にすることができるのです。
なぜなら私たちのハイアーセルフは、それらの性質をもつ神の周波数により近い周波数で存在しているからです。
そして、本当の自分というのはハイアーセルフの周波数に重なる自分のことを言います。
けれどもここでの神さまの教え──自分の内側に入って洞察力を得ようという教え──は、書物や誰かの言葉を妄信的に信じて厳しく戒律を守ることとは真逆の気楽さがあります。
その気楽さが”すばらしすぎる”という理由で、この約束を信じられない人は、今でもたくさんいらっしゃることでしょう。
そして、もっと小さな約束、もっと小さな愛を選んだ。
神との対話1 P65-66
神の最も高い約束は最も高い愛から生じる。
あなたがたは完璧な愛を考えられず、完璧な約束も考えられない。
それに、完璧な人間も考えられない。
だから、自分自身すら信じられない。
「もっと小さな約束」「もっと小さな愛」というのは、人のエゴが作った不自由な制限付きの約束であり、制限付きの愛のことでしょう。
また、私たちが言う”完璧な人”というのは、どのような人なのかを想像したとき、
全ての人は完璧ではないという結論にいたります。
逆説的ではありますが、すべての人が完璧ではないとすれば、それは自分の人に対する「見方」や「考え方」がせまく片寄っていて、全体から見てみると本当はすべての人が完璧なのだろうと想像することができます。
宇宙を完成された大きな一つの絵画だと仮定すると、私たちはその絵画の部分を担っている…特徴が異なるパズルのピースであり、私たちはやはり本来の自分のままで完璧なのではないかと思えます。
私たちが内側に入ることで見えてくるハイアーセルフは、オリジナリティがあり、完璧で完全な自分です。
その自分を信頼することを、神さまはニールさんに促しました。
こうしたことを信じられないというのは、神を信じられないということだ。
神との対話1 P66
神を信じれば、神の最大の贈り物である無条件の愛と、神の最大の約束である無限の可能性が信じられる。
ここでニールさんは、ご自分の経験と考えに照らし合わせて、神さまのお話に”口をはさみ”ました。
まず、神さまが約束された無限の可能性(創造する力)について、「人間の経験とは合致しない」と感じていることを伝えました。
そこで神さまは、ニールさんが信じてきた宗教の聖書の文言で、ご自分(神)がいつの時代も様々な場所で色々な書き方で「無限の可能性を人がもっている」ことを人間に伝えてきたことを教えました。
創世記の第十一章、第六節を見るがいい。
神との対話 P66
そこには……「そして主は言われた。
~略~
いまや彼らがしようとすることで、とどめられることはない」とある。
そのとおり。これで信じられるだろうか。
まだ神さまの言うことを全面的には信じられないニールさんは、弱いひと、衰えたひと、ハンディのあるひとなど制約のあるひとたちについても、無限の可能性があるのかどうかを問いました。
神さまの答えは以下の通りです。
そのひとたちに、自分が選びもしない制約があると思うのか。
神との対話1 P67
人間の魂が人生のチャレンジに──どんなチャレンジであれ──いきあたりばったりに出会っていると思うのか?
そう考えるのか?
ここで人の”魂”が、自分のもつ制約やチャレンジを選んでいることを聞いたニールさんは「私たちがこの人生で経験することを前もって選んでいるのかどうか」を、再び神さまに聞きました。
私たちが生きている間にする”経験”は、私たちの魂が生まれる前に選択してきた”経験”なのでしょうか。
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