43.神との対話【解説】P67~68 自然の法則④「魂が選ぶもの」

前回、ひとは瞑想や内観をするだけで自然の法則を思い出して、「無条件の愛」と「無限の可能性」が約束されていると聞いたニールさんは、まだそれを信じることができませんでした。

ご自分が聞いてきたことや経験に照らし合わせると、それを素直に信じることができなかったのです。

そこで神さまは、様々な時代と場所と書き方でこの約束を人たちに伝えてきたことを、聖書の創世記を例に、ニールさんに教えました。

また、弱い人や衰えた人やハンディのある人など制約のある人たちはどうかと聞かれた神さまは、すべての人の魂が人生のチャレンジを”選択”していることをお話しされました。

それを聞いたニールさんは、次のように質問をしました。

それでは、魂は、どんな人生を経験するかを前もって選択しているというのですか?

神との対話1 P67

神さまの回答ははっきりと、「それは違う」というものでした。
これまで学んできた通り、私たちの魂の目的は「創造することで栄光を体験(経験)すること」だからです。
”創造物”や”経験”を前もって選び、生まれてくることはありません。

けれども、人生(経験)の土俵は、前もって選ばれているとのことでした。

だが、経験を創り出すためのひとや場所、出来事は選ばれ、条件や環境、そしてチャレンジや障害、機会と選択肢も選ばれている。
パレットの色、道具箱のなかの道具、作業場の機械は選ばれているのだ。
それで何を創るかは、あなたがたの仕事だ。
それが人生というものだ。

神との対話1 P67

例えば、生まれる前の記憶をもつ人たちの資料から、子どもは両親を選んで生まれてくると読んだことがあります。
私たちはこの人生で、自分が学びたいことを学ばせてくれる両親を選んで生まれてくるのだそうです。
生まれでる家庭は、私たちの人生に大きな影響を与えます。

家庭内に問題が多くある世の中です。
親に問題があったとしても、だからこそ、子どもが家庭から学べることはたくさんあります。
反面教師という言葉がありますが、まさにその通りの視点で親を見ている人はたくさんいらっしゃるはずです。
そして親が自分に与えてくれなかった愛や自由や財産をもつことを望み、大人になるにつれて自分で手に入れ、そして自分の子どもにはそれらを与えてあげられるように努めている人は、数多くいらっしゃることでしょう。
両親の決して良いとは言えない関係を見て、それとは真逆の素晴らしい夫婦関係を構築していく人も数多くいらっしゃるはずです。

とても素敵な両親や親子関係も、もちろん存在します。
子どもは素晴らしい親を選んで、そこでもまた、自分が学びたいことを学んでいきます。

親に問題があっても、素晴らしい親であっても、私たちはいつまでも幼くはありません。
自分の意志で学びたいことを学び、経験したいことを経験することができます。
幼少期に培えなかった自信や自尊心さえ、大人になってから身に着けることができます。
限界を超えるようなチャレンジと自分を信頼する心で、世界に名を馳せる人は数多くいらっしゃいます。

自分の魂が選んだ「ひと」「場所」「出来事」「条件」「環境」「チャレンジ」「障害」「機会」「選択肢」…これらは自分の魂が自分のために選び出したものなので、悪いだけのものではないはずです。
そこから何を学び得て、この人生で何を創り出すのか、それは私たちに与えられた自由意志に任されています。

魂が何を選んでも、あなたがたには限りない可能性が開けている。
あなたがたが限られたものと呼ぶ肉体に宿る魂にはどんなことも可能だ。
だがあなたがたには、魂の課題が理解できないし、魂の意図もわからない。

神との対話1 P67

神さまが言われる魂の課題や意図を知るためにも、外の世界を静かにして内側に入ること──内観や瞑想が必要です。
そして私たちには、限りない可能性が開けています。

だから、あらゆるひとと条件を祝福し、感謝しなさい。
そうすることで、神の創造物の完璧さを認め、神への信頼を示しなさい。
神の世界ではいきあたりばったりに起こることは何もないし、偶然もない。
世界は、あなたがたが運命と呼ぶ気まぐれな選択に翻弄されてはいないのだ。

雪の結晶が完璧ならば、あなたがたの人生のすばらしさにも同じことが言えるとは思わないか?

神との対話1 P67-68

苦労を経験した人が、「あの苦労があったお陰で今の幸せや、その大切さがわかる」と話すことがあります。
偶然というものが存在せず、人生が気まぐれな運命に翻弄されていないとすれば、どのような失敗も、被害も、試練も、痛手も、その先にある素晴らしい幸せや栄光を支えるひとつの出来事となるはずです。

だから自分が出会うあらゆる人や条件を祝福し感謝することで、人生(神・宇宙)の完璧さを認め、神や自分を信頼すること。
そのように私たちは神さまに促されています。

ここでニールさんは、イエス・キリストが奇跡を起こして病人を治したことを思い出して、神さまに質問しました。
イエスの奇跡によって癒された病気の人たちは、病気になることで(人生の条件が)”完璧”だったはずなのに、なぜ癒されてしまったのでしょうか?
やはり病気は、完璧な人生を支えるもの…魂が選んだ条件ではなく、偶然に起きた排除すべき”悪いもの”なのではないでしょうか?

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