66.神との対話【解説】P131 神への道「十戒は、ない」②

神との対話【解説】P131 神への道「十戒は、ない」②

まずは前回の復習です。

ニールさんは神さまに、”真の神への道とはどのようなものですか?”と質問しました。

その答えとして神さまは、”どのような方法をとっても神の道へと続く”とお話されました。
神に続く道は一つではありませんが、それは「思考によって道を進む」ものではなくて「マインド(感性や感覚)によって道を進める」とのことでした。

思考はヒントを与えてくれますが、感性や感覚を通して私たちは神への道を歩き、神に近づくことができます。

また、神さまはニールさんに「十戒が存在しない」ことを伝えました。

長い間多くの人々によって、天国に続く道として「十戒」(10のやってはいけないこと)は信じられてきましたが、それがないと神さまに言われたのでニールさんは驚きました。

神さまはこれまで十戒とされてきた「十の神の約束・言質」について一つずつ説明をされました。
ここでは(前回の復習なので)概要を紹介します。

①あなたがたは神(=自分自身)を全身全霊で愛することになるが、そうなれば他人の愛をはじめ成功や金や力もシンボルも崇拝しなくなるだろう。それは自身の成長によって、それらを「卒業した」からだ。

②あなたがたはみだりに神の名を使わず、呼ばなくなる。「これがわたしである」という偉大な言葉は、軽々しく使われない。自身の言葉と考えの力を理解し、神をみいだしたとき、このことを悟る。

復習はここまでで、今日は三つ目の約束(言質)から始めます。

③あなたがたは一日をわたしのためにとっておき、この日を聖なる日と呼ぶ。
そうすれば、その日には自分の幻想から醒めて、自分が何者であるかを思い出すことができるから。
そして、間もなくすべての日を安息日(あんそくび)と呼ぶようになり、どの瞬間も聖なるものとなる。

神との対話1 P131

”一日をわたしのためにとっておき”というのは、一週間のうちの一日を自分自身の休息のためにとっておくこととなることを、神さまがモーセに約束してくださったのだと理解しています。

すでに一般的に、一週間のうちの一日を私たちは仕事から離れた「休日」としています。

中世から、日曜日にはキリスト教の教会でミサ(礼拝)や日曜学校などが開かれて、神の教えなどが説かれていました。それは自分の内部に立ち戻る大切な時間でもあります。
休日は、義務的な仕事から離れて自分に向き合える貴重な日です。

また、”どの瞬間も聖なるものとなる”というのは、”間もなく”24時間365日がすべて休日のように過ごせるようになるという約束です。

社会に役立つ仕事をしているときも、ただ自分に向き合って遊ぶ休日も、すべてが自分にとって聖なる日であり、楽しさと喜びを感じずにはいられない日々が(間もなく)くることがここで約束されています。
そして、今、すでにそのような状態になっている人が世の中には多数いらっしゃるはずです。

仕事はイヤなものではなくなり自分をめいっぱい表現できる楽しいこととして存在し、あらゆる時間が自分に向き合う時間でもあり、快適に他者との交流ができる時間でもあり、大切だと・・・24時間のすべてが、聖なる時間に感じる人が少しずつ増えているのが現代ではないかと思えます。

私たちはそんな素晴らしい人生を送れるようになると、神さまから約束されています。

④あなたは母と父を敬愛する。そして、言うこと、為すこと、考えることのすべてにおいて父/母なる神を敬愛するとき、自分が神の息子であることを知る。
そして、母/父なる神を敬愛し、地上の父と母を敬愛すれば(あなたは生命をもらったのだから)、すべてのひとを敬愛するようになる。

神との対話1 P131

私たちの父母は、地上の父母やご先祖様たちだけではありません。
「父なる神」「母なる地球」という言い方が昔からあります。
神社に祭られている神々や私たちを取り巻く自然を含めて、目に見えないたくさんの存在たちが母であり、父なのだと私には感じられます。

地上の父母も、もちろん存在します。
両親も肉体をもつ神ですが、人間ですので私自身と同様「忘れていること」がたくさんあり、性格のかたよりもあります。
親子関係が良好ではない人は数多くいらっしゃいます。
それでも両親を”肉体の命を与えてくれた神”だと認識することが、できるはずです。
また、両親から与えられた環境から学び、得られるものごとは、たとえそれが反面教師のようだったとしても、本当にたくさんあるのです。

世界の平和のためには、まずは家族を敬愛できる環境に自分自身を置くよう、整えていくことが重要だと考えています。
例えば両親と離れて暮らすという選択は、悪いことではありません。距離を置くことで相手を思いやれるようになれることが、あるからです。

肉体をもつ父母と仲良くすることはできなくても、「ありがとう」と感謝して敬い、愛することは、「すべてのひとを敬愛するようになる」ための通過点です。

⑤殺生を(理由もなく、意図的に)しないとき、あなたがたは神を見いだしたことを知る。
どのような場合においても、ほかの生命を奪えない(すべての生命は永遠である)ことを理解するとともに、神聖で正当な理由がなければ、輪廻の一時期にある生命を壊しはせず、生命エネルギーの形態を変化させもしない。
あらためて生命を尊敬するようになれば、植物、動物を含むあらゆるかたちの生命を敬愛し、最高の目的にかなっているときだけ、生命体に影響を及ぼすようになる。

神との対話1 P131

共にこの世に生きる人々だけでなく、食べさせてもらっている牛や豚などの命、野菜や穀物などの植物の命、小さな虫たちを含むすべての生命を尊敬できるようになりつつあるのが、現代の人たちではないでしょうか。
そのような感覚を持つ人が増えているように感じています。

ヴィーガンやベジタリアンと呼ばれる人々、食物のすべてを無駄にせず食物に感謝を忘れない人たちは、命を敬っています。
ペットを含めてすべての動植物を大切に思い、保護をする人々も命を敬っています。
友人や仲間たちを気遣い、優しく振る舞う人たちも同様です。

いずれ私たち人間は、皆がそのような存在となって、自分自身が神を見いだしていることに気付くのでしょう。

次回も神さまの約束が続きます。どうぞお楽しみに。

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