67.神との対話【解説】P132 神への道③「神の約束」

神との対話【解説】P132 神への道③「神の約束」

まずは復習です。

前々回、神さまはニールさんに、十戒がないことを伝えました。
十戒とは、長い間多くの人々に信じられてきたモーセに神が伝えたとされる「10の戒律(やってはいけないこと)」でした。
しかし神さまはニールさんに、モーセに伝えた内容は「戒律」ではなく、これから人間たちは”このように進化していく”という「約束」なのだと、伝えました。

神さまは改めてモーセに話した10の約束をお話され、こちらの解説では前回までに5項目までを紹介しました。
要約して復習しますと、

①あなたがたは神(=自分自身)を全身全霊で愛することになる。
 そうなれば他人の愛をはじめ、成功や金や力やシンボルを崇拝することはなくなる。
 それは自身の成長によって、それらを卒業したからだ。

②あなたがたはみだりに神の名を使わず、呼ばなくなる。
 自身の言葉と考えの力を理解したら、軽々しく神の名を口にできなくなる。

③あなたがたは一日(日曜日)を聖なる日と呼んで神(=自分自身)のために過ごす。
その日は自分と向き合い自分が何者なのかを思い出せるだろう。
そして間もなく、(一日ではなくて)すべての日を安息日と呼ぶようになり、どの瞬間も自分と向き合い表現できる聖なるものとなる。

④あなたは、あなたを取り巻くすべての父母(あなたを生かす存在たち)を敬愛する。
また、あなたに命を与えた肉体をもつ父母をも敬愛する。そうして、この世のすべてのひとを敬愛するようになる。

⑤あなたがたは、植物、動物を含むあらゆるかたちの生命を敬愛する。
殺生を(理由もなく、意図的に)しないあなたがたは、神をみいだしたことを知る。

前回までの復習は、ここまでです。

今日は⑥番からご紹介します。

⑥あなたがたは不誠実や欺瞞によって愛の純粋さをけがさない。
それは不義だから。
神を見いだしたとき、あなたがたはそのような不義を犯さないと、わたしは約束する。

神との対話1 P132 以下の引用すべてP132

不誠実な人、他人に平気で噓をついてだます人と言えば、とてもひどい人のように感じられます。
しかし、つきつめて考えれば、私たち人間はみんなが自分自身や他の人たちに、本当に誠実に生きているのか疑問に感じられるのです。
「嘘も方便」という言葉があり、みんなが良い気持ちで過ごせるように言葉を使い分けることは、悪いことではないとされています。
決められた”マナー”があり、”社会的立場”というものも存在して、相手と場所によって自分の言動を変えることは、普通にあります。

しかし”神を見いだしたとき”私たちはいつも…常に誰に対しても同じ態度と言葉遣いで、存在できるようになるのでしょう。
それが本当の意味で、自分にも他人にも誠実であるということなのだと考えています。

今は、せめて自分を「不義な自分」と思えないように、可能な限り誠実な言動で過ごしていこうと私自身は思えます。

⑦あなたがたは自分の所有物でないものはとらず、何ものにせよ所有するためにだましたりせず、見て見ぬふりをせず、他者を傷つけない。
それは盗みだからである。
神をみいだしたとき、あなたがたが盗みをしないことを、わたしは約束する。

⑥番と同様、自分自身にも世の中にも誠実でいようとすれば、他の人のものを盗むことはできないでしょう。
他の人のものを盗むこと、見て見ぬふりをすることは、盗まれた人を傷つけることになるからです。
また、私たちは「自分の物が人から盗まれる」という不安を持たずに過ごせるようになることが、ここで約束されています。

⑧真実でないことを口にせず、したがって偽りの証言をしない。

こちらも⑥番と同様です。
誠実でいようとすると、真実ではないことを口にすることができなくなります。

いずれ言葉の制約が外されて、テレパシーで相手が解るようになる時、すべてが明るみに出ることになります。
そのような未来も、そう遠くはないように感じています。

⑨隣人の配偶者を欲しない。
他者はすべて自分の配偶者であることを知っているとき、なぜ隣人の配偶者を欲しなければならないのか?

他人のものを欲しがる心理について、私自身は深く学んでいませんが、小さなころから比較や競争の中で生きていれば、そのような心理が生まれることもあるでしょう。

ここに”他者はすべて自分の配偶者であることを知っているとき”と書いてありますが、私たちが自分に神を見いだしたときにはこのことがよく理解できるはずです。
すべての存在(人・物・自然)と自分とは、愛でつながっているということが、感覚で理解できるからです。

そうなれば、わざわざ隣人(他人)の配偶者を欲しがるようなことは無くなってしまって当然です。

⑩隣人の財物を欲しない。すべての財物は自分のものとなりえること、あなたのすべての財物は世界のものであることを知っているとき、なぜ隣人の財物を欲しなければならないのか?

こちらも⑨と同様で、すべての存在(人・物・自然)と自分とが愛でつながっており、すべての物は地球の物であり宇宙の物であり自分の物でもあると理解するなら、わざわざ他の人の物を欲しがる必要が無くなってしまいます。
このことも、私たちが自分に神をみいだしたとき、よく理解できるはずです。

以上が、私たち人類に示された10の神の約束です。

そして神さまは、ここで否定されていることを私たちがしなくなることを約束されています。
私たちは必ず、自分を深く愛し、神の名を呼ばす、毎日が聖なる日となり、父母と自分を支えるすべての人たちをを敬愛し、殺生をせず、不誠実さがなくなり、盗まず、嘘を言わず、人の配偶者や物を欲することがなくなります。
これらは、古代から神さまに約束されてきました。

これは制約ではなく、あなたがたの「自由」だ。
これは、わたしの戒律ではなく、わたしの「言質」である。
神は、神が創り出したものに対して命令することはない。
神は神の子に語りかけるだけだ。
それによって、あなたがたはわが家へ帰ろうとしていることを知るだろう。

神さまは私たちに「してはいけないこと」を命じていません。
神さまが言われた内容は、ただ私たちがたどる道の上にある経験です。
すでにそれらを経験している人々も、数多くいらっしゃるはずです。

そして私たちは全員、”わが家”に還れます。
あたたかくて愛であふれ、安心で、豊かさに満ちたわが家に。

次回も「神への道」について、神さまがお話されています。

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