87.神との対話【解説】P180~185 人間関係⑧「人間関係に義務はない」
前回、神様は私たちに、”いつか傷つかない日がくる”と言われ、
”その日に最も早く到達する方法は、完全に正直になることだ”と、言われました。
完全に正直になって生きていくと、傷つかない日がやってきます。
そして”傷つかない日”には、私たちは悟りを得ているのだそうです。
しかし悟りを得るまで、私たちは傷つき、被害を受け、喪失することを経験します。
それは今も多くの人たちが経験していることです。
神さまは「その経験から”ほんとうの自分とは何か”を決定するように」と、言われました。
自分を犠牲にしたり殉教者になったりせず、苦しい経験の中で「自分が何者なのか」を発見し、定義して、ほんとうの自分自身を創造しなおすように言われています。
「自分が何者なのか」を考えることは、完全に正直になることにも繋がります。
自分が受ける感覚をまっすぐに認め、何のゆがみもなく正直に認めることで、自分を定義できるからです。
世の中には確かに善悪が存在します。
何が善で悪なのかを「今」の自分の感覚(判断)で選び、決定して、善を選び続けつつ正直に生きていくことを、
前回、神様が勧めてくださいました。
そうすることで、私たちはどんどん悟りに近付いていきます。
今日は神様の言葉からスタートします。
まともな精神をもった者ならだれでも、まして神なら、人間関係で傷ついても「受け流せ、平気でいろ」などとは言わない。
神との対話1 P180
いま傷ついているなら、平気でいようとしても遅い。
あなたの仕事は、傷ついたということが何を意味するかを考え、それを示すことだ。
そうすることによって、あなたはこうありたいと思う自分を選び、その自分になるのだから。
このことについて、ニールさんが分かりやすく質問されています。
”それでは、神聖な生き方をしようとして、あるいは神に気に入られようとして、長年耐える妻とか、ばかにされつづける夫など、人間関係の犠牲者になる必要はないんですね”
”人間としての尊厳を侵されたり、誇りを傷つけられたり、気持ちをずたずたにされたり、心を傷つけられたりするのを我慢する必要はないんですね”
それに対して、神様は
”やれやれ、あたりまえではないか。
一分たりとも我慢する必要はない”
と、答えられています。
私たちは人間関係の犠牲者になることも、傷つけられて我慢する必要もありません。
世間体や宗教的な義務感で、涙をこらえて耐え続けなくても良いのです。
それどころか神様は「正直でいなさい」と、前回、はっきりと教えてくださいました。
私たちは、受けた心の傷が「何を意味するのか」と考えて、行動を変えることができます。
心の傷によって、「こうありたい」と思う自分を選び、それを表現することができるようになります。
傷ついた過去に願った「こうありたい」と思う自分は、今や実在する自分自身として存在するのです。
私たちはこのような経験を通して、どんどん「悟り」に近付けます。
これまで常に「ルール」の中で生きてきたニールさんは、ここで神様に質問しました。
自分は何を約束すべきですか?
どんな協定を守るべきですか?
どんな義務が人間関係にはありますか?
どんな指針を守るといいのですか?
この質問に対して神様は以下のように答えています。
指針はないし、どの協定も結んだ瞬間にゼロ、無効になる。
神との対話1 P182
あなたに義務はない。
~略~
制約も制限もないし、指針もルールもない。
あなたはどんな環境や状況にもしばられないし、どんな規範や法律にも拘束されない。
また、どんな違反をしても罰せられないし、違反をする可能性もない。
神の目には「違反」などということはない。
以前にも、神様は”(神にとっての)悪”や”地獄”が存在しないことを私たちに伝えてくださいました。
私たちにはただ相対性のある世界における「経験」があるだけで、神から見ると、それは悪でも地獄行きに匹敵する悪行でもないことを教えられました。
それどころか神様は、「悪」とみなされる人を愛によって包み込むことで、彼を癒してしまいます。
そもそも、”神が罰すべき人間が存在する”というのなら、神は全知全能ではないことになってしまいます。
創造主である神は、全知全能であるがゆえに、完璧で完全な人間しか創造できないはずなのです。
欠陥のある人間を、創るはずがありません。
人間関係も同様で、やはり「違反」はないとのこと。
でも、私たちは他人に優しくあるべきであり、寛容で献身的で誠実であるべきではないのでしょうか?
普通ならそう考えるでしょう。
だからニールさんは神様に、「ルール違反がないのにどうしてうまくいくのか分からない。」
と言われました。
神様は、以下のように言われました。
(ルールのない人間関係が)うまくいかないはずがない。
あなたが自分自身を創造するという仕事に励むなら。
いっぽう、他人の期待に応えるのが務めだと思うなら、ルールも指針もないためにむずかしくなるかもしれない。だが、少しでも考えるひとなら不思議に思うのではないか。
神との対話1 P182
もし神が、わたしにこうせよと望むなら、どうして最初からそのように創られなかったのか、と。
どうして、神が望む自分になるために、自分を「克服する」闘いをしなければならないのか?
全知全能の神様は、私たち人間を完全に自由にしてくださいました。
なぜなら、私たち人間は神様にとって完璧で完全な人間だからです。
神さまは”義務のない関係”を支える”完璧に自由な人生”について、
「神の偉大な約束」だと言いました。
そして、この約束があるからこそ、神の偉大な計画が完成するのだと言われました。
神の偉大な計画…最終的な目的とは、「愛を充分に経験する、感じる」ということであることは、これまでのお話の中にもありました。
この計画は、そのまま私たちの魂の計画にも当てはまります。
私たちが生きる最終的な目的は、この相対性のある世界の中で、愛を充分に経験し感じたいという”魂の欲求”(=神の目的)を叶えるためです。
他との関係で、あなたには何の義務もない。
神との対話1 P185
ただ、機会があるだけだ。
~略~
関係──あなたとすべてのものとの関係──は、魂の仕事を行うための完璧な道具として創り出された。
だからこそ、人間関係はすべて聖なる地盤なのだ。
だからこそ、個人的な関係はどれも神聖なのだ。
その関係が良くても悪くても、私たちは人間関係から非常にたくさんのことを学びます。
相手は、私の中のどの部分を私に見せてくれているのか。(愛?才能?罪悪感?不信感?…)
自分の持つ自己肯定感は、どの程度あるのか。
自分のどの部分に焦点を当てて勇気を出せば、自分が変わって、生きやすくなるのか。
自分はどのような人間になり、どのような人たちと関わっていきたいのか。
等々、様々なことをはっきり教えてくれるのが人間関係です。
結婚は神聖とされていますが、その理由は結婚が”神聖な義務”だからではなく、”比類ない(魂の目的のための)チャンスだから”だと、神様は言われました。
確かに、夫婦関係を含む人間関係は、魂の仕事を行うための完璧な道具として創り出されたのです。
他との関係で、決して義務感から行動してはいけない。
神との対話1 P185
他との関係は、ほんとうの自分を決定しほんとうの自分になるための、栄えあるチャンスを与えてくれる。
何をするにしても、その意識を出発点にしなさい。
ここでも、「義務感」からではなく、「ほんとうの自分」に焦点をあてて行動するよう、神様は言われました。
人間関係において、私たちはただひたすら「ほんとうの自分」を選んで決定し、ほんとうの自分になるための機会だと思って行動するようにと、促されました。
「ほんとうの自分」を追求していくことこそが、すべての出発点なのだそうです。
・・・考えてみると、義務感で優しくしてもらうよりも、心からの愛で優しくしてもらう方が、誰でも嬉しいはずです。
次回は「恋」についてのお話です。
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