見捨てられ不安という、大切な人を信頼できずに疑ってしまう不安がある。
その不安の原因は、大人を絶対的に必要としている乳幼児期を含めた幼少期に、特定の大人(主に母親)から大切にされたり、守ってもらったりという経験がないか、または極端に少ないことにある。
お腹が空いていたり夜の暗さを怖いと感じたりしたときに、必要としているもの(お乳やなぐさめ)を常に与えられずにいると、不安や怒りや諦め、悲しみというネガティブな感情が増幅してしまう。
安心を得られるほほ笑みや抱っこがなければ、心地よくて笑うという感情が生まれない。
そういう育ち方をした人たちは、他人を信頼することに困難を感じながら成長することになる。
成長の過程で「やさしく笑う」ことの意味を自分で学ばない限り、その人の”笑い”は他人への嘲笑など、気持ちの良い”笑い”ではないものに限られてくるだろう。
そのような人が”大切に思う人”と出会ったとき、特に恋愛をしたときなどは、不安が大きくて相手を束縛してしまう傾向にある。
不安から生じる”悲しみ”や”怒り”や”焦り”や”諦める気持ち”から、「大切な人だからこそ大切にできない」という現象が起きてしまう。
そのために苦しむ人たちがどれほど世の中には存在するのだろうかと、カウンセリングをしながら考えた。
疑われた方も傷つくし、疑った方も苦しく辛い。
そういう人たちは、まず「この疑い(不安)は、相手に原因があるのではなく、自分の心に原因がある」ということを知る必要がある。
そうしてやっと自分癒しがスタートする。
途中、自分のネガティブな感情と戦う場面が何度となく訪れるが、
時間を掛けて相手のまごころ(愛)や相手との間に結ばれている絆に気付き、「疑う必要などまるでなかった」ことにも気付けるようになる。
そこから先に進んで相手(人)の幸せを第一に考えられるようにまで成長すると、相手が幸せだったらそれで良いという心境に至るようになる。
そこまで行けば、疑うことの意味さえなくなってしまう。
幼少期の頃に与えられる愛というもの…その影響力は、想像するよりもっともっと強くて大きい。
しかし親だとしても人間なのだから、それ(愛の必要性)を知らない人、ただ自分が生きるのに精一杯の人もいる。
人の人生を左右してしまう”不安”を生じさせないためにも、助けが必要な人を助けられる社会にし、社会全体で(母親等の)疲労を感じる人の負担を軽くしていけたら良いと考えている。
いつかそのような社会になるのだろうと、希望をもっている。
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