1.神との対話1【解説】献辞・謝辞・はじめにを読んで
ニールさんは本の中で、あらゆる人たちに感謝をしています。
本の冒頭に書かれている”献辞”は両親に向けて、
”謝辞”には神や賢者や師、現在と過去の配偶者たちや友人たち、歴史上のアーティストや文学者たちにも…とにかくすべての人たちに向けて感謝の気持ちを伝えていらっしゃいます。
スピリチュアルな精神が進んでいくと、あらゆる存在に感謝の気持ちが持てるようになることが、ここでもわかります。
ところが20数年前の私には、まだそのことがよくわかっていませんでした。
冒頭の謝辞などは、ただの本の飾りのように思っていましたし、本を書いた人もただマナーとして書いているだけだろうと思っていました。
けれども今は違います。
一つひとつの言葉に、愛という心からのエネルギーを注いで、ニールさんが書き記していることがわかるのです。
そのような美しい献辞と謝辞の続きに、「はじめに」が私たちに向けてつづられています。
そこには、
私たち全員が神さまと対話できるということ、
瞑想や修行をしない聖人でもない普通に生きる私たちが本当に神さまと話せること、
この本はすべての人たちのためにあり”あなた”の教師であること、
という、この本のもつ意義が書かれてありました。
その頃の私は、「神さまは想像の中では笑いかけてくれるけど、本当に話せるとは思えないなぁ」と思っていました。
また、次のようにも書かれていました。
神は
自分の欠点を許しなさい、
恐怖と罪悪感をいだいて生きるのではなく、
つねにより大きなヴィジョンに向かって生きる努力を続けなさい
と励ましている。神がすべてのひとにそう望んでいるのが、わたしにはわかる。
神との対話 7ページ目
その頃の私は、この箇所でも疑問を持ちました。
神さまは悪魔と戦いなさいって言っていた(書いてあった)はずなのに、その神が、どうして悪魔のような欠点だらけの私に「自分の欠点を許せ、罪悪感を持つな」と言うのだろう?
人間関係もお金のことも怖いものがいっぱいなのに、どうすれば「恐怖」を持たずに生きていけるのだろう?
大きなヴィジョンって何だろう?
そのように感じていた20数年前の私は、今までにはない何か特別な本をめくるドキドキした気持ちで、この本のページを開いていきました。
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