59.神との対話【解説】人生が上向く方法⑤P113~115「最高の愛を感じる」
前回、魂の目的は「発達進化すること」であり、
「欲求不満や不安は、魂の言うことに耳を傾けないから起こる」という神さまのお話がありました。
では「どうすれば魂の言うことに耳を傾け、それが魂からの指示だと確信できるのか」というニールさんの質問があり、神さまは以下のように答えられました。
まず、魂が何を追求していのかを、はっきりと知ることだ。
神との対話1 P112
──そして、それについて批判するのをやめること。
その補足として
○自分自身を批判しないこと
○魂の声を聞いて、それに従うこと
○魂と共に歩くこと
以上が伝えられました。
今日は、欲求不満や不安を離れたいと願う私たちが知るべき、”魂が追求していること”について紹介していきます。
魂が追求しているのは──想像しうるかぎりの最高の愛の感情だ。
神との対話1 P113
これが魂の欲求、目的だ。
魂は感じようとしている。
愛を知ろうとしているのではなく、感じようとしている。
ここで、魂が追求していることが「最高の愛を感じること」だと分かりました。
私たちの魂は、愛を感じたいのです。
それも「最高の愛」の感情です。
神=愛と、学んでいます。
私たちは、神(愛)である自分を感じたいと、魂から望んでいるのです。
それは、この本の最初から神さまが言われてきたことであり、何ら矛盾がありません。
最高の感情は、「すべてである」存在と合体する経験だ。
神との対話1 P113
それは真実へとかえることであり、魂が切望しているその真実が、完璧な愛である。
次に、神さまは「色」の例え話をされました。
クレヨンで様々な色を重ねて塗ると、それは「黒色」になります。
しかし、様々な色の”光”を重ねると、それは「白色」になります。
神さまは「完璧な愛」を、すべての色の光を合わせて生まれる「白色のようなものだ」と言われました。
完璧な愛とは色のなかの完璧な白のようなものだ。
~略~
白は存在するあらゆる色が合体したものだ。
だから、愛とは感情──憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、羨望など──がないことではなく、
あらゆる感情の総和だ。
あらゆるものの集合、すべてである。だから、魂が完璧な愛を経験するには、「人間のあらゆる感情」を経験しなければならない。
神との対話1 P113
私たちは発達進化して、栄光を手にし、完璧な幸せになることができます。
それは最高の愛をしっかりと自分のものにしている状態です。
しかしそうなるために、私たちは数多くの人生を通して、すべての感情を経験する必要があるとのことでした。
それを聞くと、私は数多くの人生の中でどのような辛いことを経験してきたのかと、思いを馳せてしまいます。
どうか、すでに、すべての苦しみをクリアしていますようにと望みます。
そしてクリアしてきた自分に「とてもよくがんばったね。ありがとう」と伝えずにはいられません。
そしてこの人生で、「完璧な愛を経験したい」と思います。
愛が完璧であるためには、たくさんの人生と経験が必要だということですが、それはなぜでしょうか。
自分が理解できないことに、共感できるだろうか。
自分が経験しなかったことについて、他人を許せるだろうか?そう考えれば、魂の旅がどんなに単純で、しかもすごいものかがわかるだろう。
そこでようやく、魂が何をめざしているかが理解できるはずだ。人間の魂の目的はすべてを経験すること、それによってすべてになりえることだ。
神との対話1 P114
前回、魂の目的は「成長拡大すること」と言われました。
成長と拡大のために「すべてを経験する」必要があり、また、成長と拡大の結果「すべてになりえる」のです。
一度も下降したことがなければ、どうして上昇できるだろう?
冷たいということを知らなければ、どうして温かくなれるだろう?
悪を否定していたら、どうして善になれるだろう?選択肢がなければ魂は何も選べない。
魂が偉大さを体験するためには、偉大であるということはどういうことかを知らなければならない。そこで魂は、偉大さは偉大でないところにしか存在しないと気づく。
だから、魂は偉大でないものを決して非難しない。
それどころか祝福する。そこには自らの一部、別の一部が現れるために必要な一部があるから。
神との対話1 p114
この説明は、陰陽学説を示す白と黒からなる円を思い出させます。
この世界は、黒(陰)と白(陽)の両方があってこそ成り立ち、黒の中には白い点があり白の中にも黒の点があります。黒も白も、別の存在があるからこそ、存在しています。
もちろん、魂の使命はわたしたちに偉大さを選ばせること──選ばなかった部分を非難せず、最善の自分を選ぶようにさせることだ。
神との対話1 P114
こんな大きな使命を果たすには、いくつもの生涯が必要だ。
あなたがたはすぐに批判しようとし、自分が選ばなかったものを祝福しないで、ものごとを「間違っている」とか「悪い」とか「充分ではない」と決めつけたがる。
ここを読んだとき、自分はどうかと考えました。
私は自分が選ばなかった部分を非難することなく、ただ最善の自分を選ぶようにしているでしょうか。
見つけたのは、選ばなかった部分を非難している自分でした。
声に出して非難しなくても、心の中で非難しているだけでも、それは結局自分自身の一部を非難していることになります。
だからこそ、非難は息苦しさにつながっていきます。
選ばなかった部分を非難しない自分になるには、過去も含めて自分のすべてを許す必要があります。
過去の自分がいるから今の私がいるのだと、自分に教えてあげる必要があり、
過去の苦しかった自分を慈愛の気持ちで包んであげる必要があるのです。
他人の非難したくなる行為を見た時には、「私もそういう時があったかも」と自分を振り返ると良いです。
そして、つい過去の自分や他人を非難してしまっている自分をも、非難しないようにします。
もう、何も非難しなくていいのです。
そうしていくと非難されない魂は、自由に自分を表現して、白色に輝くことができるようになります。
非難するよりも、もっといけないこともある。
神との対話1 P114
自分が選ばなかったものを傷つけようとするのだ。
破壊しようとする。
自分が賛成できない人間や場所やものごとがあれば、攻撃する。
~略~
だが、それは間違っている。
それでは宇宙の半分しか創造できない。
そして、残る半分を拒否していたら、自分の側の半分さえ理解できない。
今、小さないざこざから戦争まで、世界中のあちこちに争いがあるのが見えます。
ばかにしたり拒否したり、戦いを仕掛けるのではなく、自分の思いを穏やかに伝え、思いやりや愛で包むことができれば世界はどのように変わるのでしょうか。
ここでニールさんは、
「それはむずかしいことだ!」と思い、神さまに次のように質問しました。
あなたは「正義」を知るために、「悪」を愛さなければならない、そう言っているように思われるんです。
神との対話1 P115
それじゃ、悪魔をだきしめよ、そう言われるんですか?
この続きは、次回にいたします。
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