71.神との対話【解説】P139~140 神への道⑦「ネガティブな感情に向き合う」

神との対話【解説】P139~140 神への道⑦「ネガティブな感情に向き合う」

前回は、結果への期待を手放して、行動を愛することの大切さが語られていました。

結果を「期待」すると、行動する楽しみよりも結果の方が重要視されてしまいます。
結果だけにこだわると、それまでの行動のすべてが否定されてしまうことになりかねません。
そうではなく、「行動する」ことで得られる「経験」のほうを、私たちは魂から望んでいるということが学べました。

夢や希望をもって情熱を感じ、それに向かって行動を起こすことは、人の自然なおこないです。
そして夢や希望に至る道のり…一つひとつの行動とその経験を充分に楽しんでいくことこそが、私たち人間には大切で必要なことだと理解できました。

今、ここでこうして何らかの行動を起こして過ごしている幸せを、多くの人たちが実感していると良いなと望みます。

今日もニールさんの神様への質問から、始めます。

あなたは「抵抗すれば、相手はかえって強くなるが、見つめれば、相手は消える」とおっしゃいましたが、
そのことを説明してもらえますか?

神との対話1 p139

ここでいう”相手”とは、不安や恐れ、誰かへの嫉妬や悲しみ、依存など、自分がもつ”ネガティブな感情”のことです。

その質問に対して神様は、

抵抗すれば、ネガティブな感情はかえって強くなる。
見つめれば(理解すれば)、ネガティブな感情は消える。

と、答えられました。

それはどういうことなのでしょうか。

目を開いて見つめれば、相手は消える。
相手は幻想という実態をさらけ出す。
あなたが何かを見つめれば──ほんとうに見つめれば──相手を見透かし、それが幻であると見抜くから、
究極の現実以外は何も残らない。
究極の現実の前には、小さな幻想など何の力もない。

神との対話1 P139

この世の現実として見える世界は幻想の世界だと、スピリチュアルでは言われています。
自分の潜在意識を含めた深淵なる心(内側)が、鏡のように映し出されている世界が、自分を取り巻く外側の世界なのです。

また、私たちの根底にある真実のものはたった一つ、「愛である」とも言われています。

愛は私たちに愛のすばらしさを教えるために…愛することを経験させるために、この世に起きるものを私たちに見させ、経験させます。
それが愛の対極にあるように見えるものも、経験させたり見させたりします。

なぜなら、比較できるもの…相対性がなければ、何も(愛をも)経験することができないからです。

私たちは、見せられ、経験していくものごとの中から、常に何かを選んで前進していく存在です。

行き着く先は完璧な愛🟰神🟰宇宙であり、そしてその根底に行き渡るものも愛です。

私たちは、自分の置かれた状況の奥底にある「愛」に気づくことができれば、
強固で変えられそうにない現実や、現実または未来に対する強いネガティブな感情を
「これは幻だ」と認識できるようになります。

幻…意識を変えるとすぐに変化してしまう現実のように見えるものは、
私たちが意識を変えることで本当に変化してしまいます。

相手は弱くなった手であなたをとらえておくことができなくなる。

あなたは相手の「真実」を見きわめ、それによって自由になる。

神との対話1 P139

相手…自分のもつネガティブな感情や意識は、私たちがその真実をみきわめることで、力を弱め、ついに私たちはその相手から自由になるようです。

すべての経験の根底に愛が染みわたっているとしたら、そこから浮かび出てきた経験がとても苦しいものだとしても、いつまでもその感情にとらわれ、自分自身を不自由にさせる必要はないことが理解できます。

たとえば未来への不安、誰かへの怒り、悲しみ、喪失感など、感情そのものさえ、時間が経てば過ぎてしまう…薄くなり、消えてしまうものです。

中には、なかなか捨てがたい感情もあるのでしょうが、それに取り憑かれ、

そのために一度きりの…本当は幸せの楽しく送れるはずだった…自分の人生を不自由にさせる必要はないと思えます。
私たちは生まれ変わりますが、それでも今の人生は今だけのものだからです。

神さまは、ネガティブな感情をパワフルにするのは、私たちの「抵抗」と話されました。
跳ねのけようとしたり、(そこにあるのに)見ないようにしたりする必要はなく、

じっと見つめて現実(と思えるもの)の奥にある「真実(愛)」を見つけることで相手は消えるのだと、神様は言われました。

ここでニールさんは、”ネガティブな感情に、消えてもらいたくないとしたらどうなるのですか?”と、神様に聞きました。
ネガティブな感情であっても、それを大事に思う人もまた存在します。

あなたはつねに相手が消えることを望むはずだ!
~略~
だが、決して抵抗しないことだ。
抵抗すれば、相手を滅ぼせると考えているなら、考えなおしなさい。
相手はますます力強く居座ってしまう。

すべての思考は創造につながる、と前にも言ったと思うが?

神との対話1 P140

ネガティブな感情に抵抗し、滅ぼそうとすることは、その感情を増幅させる現実を創ることにつながってしまうようです。

ここで再びニールさんが尋ねました。
「これは欲しくない、という考えでも、ですか?」

私たちには避けたい状況が、たくさんあります。
人前で失敗することや、せっかく得た財産を失うこと、大切なパートナーを失うことなど…。
それらの「不安」について、私たちはどうすれば良いのでしょうか。

欲しくないのなら、なぜ、考えるのか?
いつまでも考えているのはやめなさい。
だが、どうしても考えたいなら──考えずにはいられないのなら──抵抗しないことだ。
それよりも、率直に相手を見つめ──あなたが生み出した現実を受け入れ──それからそれをとっておくか、捨てるか、好きなほうを選びなさい。

私たちは、率直に相手(不安などネガティブな感情)を見つめて、自分が創り出した現実を受け入れることで「とっておくか捨てるか」を選ぶことが、簡単にできるのでしょうか。

もしも私たちが、ネガティブな感情にいたった経験の奥底に「愛」があるということを確実に知っていたら、そのイヤな経験はより大きな喜びを自分に与えるためにあったのだと仮定できるでしょう。
そのように仮定すると、ネガティブだと思えた経験は、これから起きる素晴らしい経験によって愛や喜びをもっともっと強く感じさせてくれるものになるはずです。

「ものごとはすべて中立で、それに意味をつけるのはあなた自身である」と、バシャールさんも話しています。
自分に起きるどのようなことも、ポジティブな意味づけをすることができるのです。

ここでニールさんは、「ネガティブな感情をとっておくか、捨てるか、好きなほうを選びなさい」といわれる神様に、
「その選択の基準は何ですか?」と聞きました。

自分が何者だと思うか。
そして、何者になりたいと思うか。
これがすべての選択の基準である──これまでも、これからも、すべての人生の選択基準である。

神との対話1 P140

自分のことを「豊かな存在」だと思い、「より豊かな存在になる」と望むとき、
「喪失してしまうこと」を選ぶ(心配して考える)よりも捨てるほうが良いことは明らかです。

それでも、どうしても心配してしまうときには、心配することに抵抗しないで、「今の現実(のように見える状況)」と「心配すること」の根底にあるはずの「愛」を見つけられるようにすると良いようです。
そうすれば不安や心配といったものは、「幻」という正体を明らかにして、力を失い、消えていくとのこと。

「幻想」を理解してたった一つの真実である「愛」にたどり着くには、人によっては俯瞰とか瞑想と呼ばれる行動が必要なのではないかと思います。
瞑想をすることで、ネガティブな感情のその奥にあるもの…「愛」を見つけることができます。

瞑想などを通して、魂(ハイアーセルフ)が感じている「安らぎ」や「平和」や「豊かさ」や「愛」をはっきりと見ることができれば、私たちの周囲にある現実が、実は幻なのだと理解できるでしょう。
幻の中でじたばたして頑張っている自分自身を、心から愛しいと、思えるはずです。

しかし瞑想をしなくても、シンプルに「成りたい自分」に向き合い、それをやりたいと「情熱を感じている自分」でいることによって…情熱を基準にして…いつも選択し、行動すると良いということが、上の神様の答え(言葉)で分かります。
ただただ今、自分らしい「ワクワクする方を選ぶ」で、いいのです。

次回も、エゴや心配についてのニールさんの質問が続きます。

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