13.神との対話1【解説】P28 人間は神に似せてつくられた

13.神との対話1【解説】P28 人間は神に似せてつくられた

神さまが説明した「人は感謝して望みをかなえる」ことについて
ニールさんが疑問に思ったのは、
「感謝が望みをかなえるとしたら、人間が神に願いを掛けて祈っても、神は何もしないのか?」ということでした。
その疑問に対して神さまは、ご自分が私たち人間の人生を創造したり決定したりしているのではないことをお話されました。

人生の環境や条件を想像したり、しなかったりすることは、神の働きではない。
神は神の姿をかたどり、神に似せてあなたがたを想像した。

神との対話1 P28

私たち人間は、”自由意志”が与えられており、自分たちが望むものを選び、創っていっています。
前回の波動のお話でも分かりますが、私たちは自分が欲するものをすでに手にしている波動を出すことで、実際にそれを手にすることができるのです。
この”創造の力”が、まさに上記の引用文の”神に似せて”の部分で、私たちは神と同様に創造ができる存在なのです。

そこに神は介入せず、ただ観察しているだけだとお話されました。

神は観察者であって、創造者ではない。

神との対話1 P28


”神は神の姿をかたどり…”の一文は、確か、聖書の中に書かれているものだったと思います。
神さまは空から来るサンタクロースのような存在で、人間がほしいと思うもの大きな袋からポンと渡してくれるのかと思っていたら、
それは違うようです。

魔法使いのようなサンタクロース(神)は私たちの心の中にいて、私たちがほしいと思うものを
「それをくれるのね!ありがとう!」と言って喜ぶと、私たちの心の中から出してくれるようなのです。

次に神さまは、ご自分の人間たちへの”観察者”としての姿勢を話し始めました。

私たち人間を、神の子どもとして考えてみると分かるのですが、
父(母)である神さまは子ども(私たち人間)が何をして遊ぼうと、それほど関心をもちません。
それは私たち人間の親子でも同様で、
その理由は、安心で楽しく遊べる環境に子どもたちを置いているからです。

そして人間の愛情深い親と同様に、

もしもけがをしたら、助けに行き、傷をなおしてやり、安心させてやり、幸せにしてやり、翌日はまた遊びにいけるようにしてやるだろう。
それでも、子どもたちが翌日、かくれんぼをしようと、ままごと遊びをしようと、どうでもいいはずだ。

神との対話1 P28

困ったり、傷ついたりしている子どもを、多くの親たちは放っておくことができないでしょう。
同様に神さまは、私たちが困っているときにも必ず助けてくれるようです。

そして大きな包容力で、傷つきやすい私たちに”安心”と”幸せ”まで感じさせてくれるとのことです。
教会や神社の神さまの前で得られるどっしりした安心感は、確かに、神さまから届けられるものなのでしょう。

私たちの傷が癒えたなら「いってらっしゃい」と、ふたたび笑顔で送り出してくれるのですね。
私たち人間は、楽しいことが大好きな遊び好きの子どもであることがイメージできます。

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