14.神との対話1【解説】P29 人間は確実に愛(幸せ・喜び・自由)に帰る

14.神との対話1【解説】P29 人間は確実に愛(幸せ・喜び・自由)に帰る

神さまが父母であり人間を子どもだと仮定すると、
両親は子どもを安全なところにおいて、その場で遊ぶ内容については気にせず、
けがをしたら心身ともにケアをして再び元気に遊びに出るようにするということを、
前回お伝えしました。

29ページには、
「もちろん、危険な遊びは教えておくだろう」と、書かれています。
ということは、
子ども(人間)は自分が行うことが危険なのかどうかについて、
実は”前もって”知っているのでしょうか。

ここで降りてきた言葉は、「良心に従って…」でした。
自分の中にある良心から外れた行動をしなければ、きっと危険ではないのでしょう。
良心に従うこと、そして良心を無視しないことも大事なことだと考えています。

また、神(両親)は子ども(人間)が遊びながら成長していく過程についてはあまり気にしませんが、
結果については懸念(心配)するということと、
そうは言っても、ある意味では、結果が決まっているため懸念しないということを、下記のように言われています。

もっとも、ある意味では、神は結果についても気にしてはいない。
究極の結果については懸念していない。
究極の結果は確実に決まっているからだ。

神との対話1 P29

神さまは宇宙の創造主で、愛の存在でもあります。
その神さまが私たちの中にいらっしゃるとしても、外にいらっしゃるとしても、
どちらにしても人間が成長した先の「究極の結果」が
「不確実な(悪くなる可能性がある)ものであるはずがない」ということは、理解できます。

人生の結果が不確かだと思う理由は、人それぞれにあるはずですが、
私たちの人生は一回きりではありませんし、
「究極の結果」が「不確実」と決めてしまう必要はありません。

神さまは、28ページで
私たち人間が神さまに対してもっている
第一の幻想として、
”神が私たちの行動に関心を寄せていると思っていること”だと言われていますが、

29ページでは
第二の幻想として、
”人生の結果が不確かだと思っている”ことだと、言われています。

人生の結果は決まっています。
私たちは多くの愛を与えられて、多くの愛を送る人(神)に戻るだけなのです。
そこにはただ愛や喜びや自由や安らぎしかなくて、そのほかのものは存在しません。

究極の結果が不確実だと思うから、あなたの最大の敵が生まれる。
不安だ。
結果に確信がもてないから、創造者を疑う。
神を疑う。
神を疑えば、不安と罪悪感をいだいて生きることになる。

神との対話1 P29

上記引用の”創造者”や”神”は、”自分”であるとも、言えます。

私たちは神や自分自身(自分の中の神)を信じて、究極の結果は確実に幸せであるし、そのために安心でもあることを知ると良いです。
私たちは、安心し、穏やかに安らいでいて良いのです。

神の意図を疑い、究極の結果を生み出す神の力を疑っていたら、
安らかでいられるはずがない。
真の安らぎは感じられない。

神との対話1 P29

神は私たち人間の全員が…一人残らず愛に帰ることを意図しており、
その力をお持ちです。

私たちはそのような神の力を信頼して、
「人生の結果はどうなることか分からない」という幻想からくる不安から、もう離れても良いのです。

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