18.神との対話【解説】P33~34 真実の愛とは?

あなたは「親」の役割を神に投影し、善いか悪いか判断して、褒美を与えたり罰したりする神を想像する。
だが、それはあなたがたの神話にもとづく、単純すぎる見方だ。
ほんとうのわたしとは何の関係もない。

神との対話1 P32~33

上記の引用に書かれている”ほんとうのわたし(神)”というのは、どのような神なのでしょうか。
読み進めていくと、次のように書かれてありました。

恐れる必要のない神、善悪を決めつけたり、罰をあたえたりしない神は、
あまりにすばらしすぎて、
あなたがたが考える最も偉大な神にさえあてはまらない・・・

神との対話1 P33

恐れを抱く必要がなく、善悪を決めつけず、罰を与えない神が、ほんとうの神だということがここで解りました。

さらに、ほんとうの神がもつ無条件の愛を信じられない人間が、どのような行動をとるかということも書かれてあります。

相手から退いたり、自分のなかに引きこもったり、条件をつけたりしながらも、
ほんとうの愛はそんなものではないとどこかで感じている。

神との対話1 P34

条件つきの愛で育てられた人や、愛をまったく感じることなく育ってきた人は数多く存在します。
文化的な作用もあり、世界中の大多数の人が、何らかの条件付きの愛を受けて育ってきたのではないでしょうか。

しかしながら、私自身も両親からの愛を傍受できずに育ちましたが、
そのような私でも不思議と”ほんとうの愛”がどういうものかについて、知っていました。

子どものころ、「神さまが罰する」ということを聖書で読んでも、誰かに教えられても、
腑に落ちませんでした。
大きな愛に満ち溢れている神さまが、間違いをしでかしてしまう子どものような私たち人間を罰するはずがないことをなぜか知っていたからです。
また、娘たちが生まれたときに無条件の愛を感じることができたのは、
私自身が今生ではなく、
前世や中間生で無条件の愛を知ることができたためだろうと考えています。

同様に、多くの人もまた、無条件の愛というものを生まれながらに知っているのだと思えます。

上の引用にも”ほんとうの愛はそんなものではないと(私たち人間は)どこかで感じている”と、書かれてあります。

人は、本能のように不安を感じていながらも、本能のように確かな愛をも知っているのです。

私たちの魂が、ひたすらに愛に輝いている”ほんとうの神”から生まれ、その愛を体現できることもまた、心のどこかで知っているはずです。

☆☆プチワーク☆☆ 所要時間1分~3分

罪悪感や恥というものを、私たちは自分に対して感じています。
しかし、すべては神に許されています。
あなたは子どものように清らかであり、神に愛されています。
目を閉じ、神のあたたかな光の中にいる自分を想像して、心に安らかさを感じてみましょう。

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