35. 神との対話【解説】P56~57 苦痛をなくす方法

56ページで、世界の天災や災害が、数多くの人々の意識が集まって積み重なることによって創造されることが書かれてありました。

そして天災や災害などが起きたとき、私たちが個人として創造しているのは、
”こうした出来事が人々の人生に及ぼす影響の度合いである。”と書かれてあります。

確かに、地球上の全員が災害が起きることを想定して、安全のための対策を講じて完ぺきに準備ができたとしたら、まったく危険がなく、困ることもなくなります。
天災や災害による人生への影響はなくなってしまうのです。

しかし危険を察知していても、何も考えずに無頓着に過ごしていたなら、私たちはいつまでも、災害が起きた時には今と同じ影響を受け、苦痛を感じ続けることになるでしょう。

また、ニールさんは54ページで、
”自分を体験する機会を創造するのに、誰にとっても、もっと苦痛の少ない方法はないのでしょうか”と、質問されました。

答えはイエスだ。しかし表面的な経験には何も変化はないだろう。
地上の経験や出来事に感じる苦痛を──自分の苦痛も他者の苦痛も──減らすには、受けとめ方を変えればいい。
あなたがたは、外部の出来事を変えることはできない。
だから、内的な経験を変えるしかない。
これが、生きることの王道である。

神との対話1 P57

ものごとの受け止め方によって苦痛が大きく異なることは、確かに理解できます。

例えば誰かから視線を向けられたとき、それを好意とみなすのか、監視とみなすのか、それともにらまれたと判断するのかで、ここで言う「内的な経験」はまったく異なります。

他にも、例えば大切だと思っていた物を失ったときに、自分の不注意として後悔するのか、不運だとして嘆くのか、すでに不要な物だったと解釈して忘れるのか、それとも新しい物を得るために動き始めるきっかけとみなすのかなど、異なった解釈やアプローチがあるものです。
ここでも、内的な経験はまったく異なります。

どんなことでも、それ自体は苦痛ではない。
苦痛は誤った思考から生まれる。考え方が間違っているのだ。
〈マスター〉はどんなに悲痛な苦しみも消すことができる。
それによって、ひとを癒す。
ものごとを勝手に決めつけるから、苦しむのだ。

神との対話1 P57

最初にこの部分を読んで以来、私が感じていた苦痛の多くがなくなってしまいました。

ものの解釈次第で、苦痛を別の何かに置き換えられることを知ったからです。

今を幸せにしようとすればするほど、苦痛に感じるものごとをただ「考え方」を変えることによって、極力減らしていく努力をすることができます。
それが過去の出来事であれば、「あの出来事のお陰で今がある」と解釈することができます。

さらに神さまは、私たちが苦痛に感じるように決めつけてしまう理由を書いていらっしゃいます。

決めつけるのはそれまでの経験のせいだ。
ものごとに対する考えは、過去の考えから生まれる。
過去の考えはさらにその前の考えの結果である。
そしてその考えはまたさらに過去の考えから生まれるというふうに、まるで積みあげたレンガのように続く。
この鏡の廊下をずっとたどっていくと、わたしが「最初の考え」と呼ぶものに行きつく。

神との対話1 P57

ここで神が言う「最初の考え」について、それが「原罪」と呼ばれることが書かれてありました。
「間違った最初の考え」が、原罪なのだそうです。
では、間違った最初の考えである原罪とは、何なのか。
それはこれまで読んできた中に書いてありました、愛の反対の性質のものです。
つまり、「不安」です。

不安をもつという間違いが、第二、第三の考えをいだくときに、何度も積み重ねられていきます。

この過ちからあなたがたを解放するために新しい理解を吹き込むこと、それが聖霊の役目だ。

神との対話1 P58

聖霊…マスターなど高い波動を持つ存在によって新しい理解がもたらされると、私たちには愛だけが残り、苦痛がなくなってしまうのでしょう。

ここまで聞いてきたニールさんは納得ができず、

「飢えや暴力や不正、地震によって多くの人が亡くなっているのに、それでも『悪を感じるな』とおっしゃるのですか?」

と、神さまに質問をしました。

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