38.神との対話【解説】P61~62 地獄とは?

前回、神の戒律がないなら罰せられる場所の「地獄」もないはずだと気が付いたニールさんから、
天国と地獄の有無を聞かれた神さまは、
「地獄はあるが、あなたがたが思っているようなものではないし、教えられた理由で地獄を経験するのでもない」と答えられました。

いったい、どのようなものが地獄で、私たちはどのような理由で地獄を経験しなければならないのでしょうか。

神さまは、地獄という場所が、子どもの頃から聞いてきたような恐ろしい場所ではないことを説明されています。

地獄はあなたがたが空想するような、永遠の業火に焼かれるとか、際限のない苦悶にさいなまれるとか、そういったものではない。
何のために、わたしがそんなものを創らなければならないのか。
わたしが仮に、あなたがたは天国に「ふさわしくない」という、まったく神らしくないことを考えたとしても、あなたがたの過ちに復讐したり、罰したりする必要がどこにあるのか。
あなたがたを見捨てれば、それですむではないか?

神との対話1 P61

神さまが本当に全知全能の創造主であり、偉大な愛の存在であるとしたら、
ご自分が創った人間を罰する必要はありませんし、
そもそも、永遠に罰する必要があるなら人間を創る必要も、
人間に自由意志を与える必要もないはずです。

人間に苦しみを与える地獄があると仮定すること自体が、矛盾です。
そのように気付いた人も、これまで数多くいらっしゃったことと思います。
私自身も、子どもの頃に矛盾を感じていました。
全知全能で不可能なことがない存在である神が「悪と戦う」ことは矛盾ですし、
神に深く愛されているはずの人間が(悪いことをしたからといって)「地獄に堕ちる」ことも矛盾です。

そのようなお話を聞くたびに「あれ??」と、変な気持ちになっていたことを思い出します。

それでは、ここで神さまが言う地獄とはどのようなものなのでしょうか?

不安にもとづいてできている宗教でいわれるような「死後の世界」はない。
だが、不幸で、不完全で、欠点が多く、神の偉大な喜びから遠く離れた魂の経験というものはある。
あなたがたの魂にとってそれは、地獄だろう。
だが、わたしがあなたがたをそこに送るのではないし、そうした体験をさせるのでもない。

あなたがた自身が、真の自分ではなくなるとき、自分で地獄の体験を創り出す。
ほんとうの自分を拒否するたびに、あなたがたは地獄の体験を創り出す。

神との対話1 P61

地獄というのは「不幸で、不完全で、欠点が多く、神の偉大な喜びから遠く離れた魂の経験」と、ここで神さまが言われています。

地獄で経験する魂の特徴は、まるで地球上に生きている数多くの人たちの魂のように思えます。
不完全で欠点が多い…と自分をみなしている自己肯定感の低い人は、数多くいらっしゃいます。
自分軸を忘れて”真の自分ではなくなるとき”も、人間には数多くあります。
自分を不幸だと感じている人も多くいらっしゃることでしょう。

ということは、今のこの世が地獄に近い場所…地獄の経験が可能な場所なのです。

この地球上で、私たちは地獄の経験をしてきたことになります。

自分自身を大切にして、人との繋がりや環境を大切に思って愛の授受ができるような喜びが多い時…そのような時を過ごしている人が、地獄の経験が可能なこの世にありながら地獄ではない経験をしているということになります。

神さまは、以下の通り言われています。

地獄とは喜びの対極である。
満たされないこと。
自分が何者かを知っていながら、それを体験できないこと。
本来の姿にくらべて卑小な在り方。
それが地獄であり、あなたがたの魂にとって、それよりもつらいことはない。

神との対話1 P61

満たされず、栄光を体験できず、卑小な自分。
そんな自分を、(私も含めて)数多くの人たちが経験しているはずです。
その経験を、”それよりもつらいことはない”と、神さまが教えてくださいました。

私たちはすでに、地獄を体験していたのです。

そして、そんな私たちが、今以上に幸せになろうと、喜びについて学んだり、
ワンネス(繋がりや平等)や平和の尊さを広げようとしたり、
自分自身や愛や神について知ろうとしたりと、様々な学びを始めています。

今、ようやく地獄を脱しつつあるのが私たちです。
そして地獄からの脱出は必ず成功することが、神さまに約束されています。

だが、その体験(地獄の体験)でさえ永遠ではない。
あなたがたはいつまでもわたし(神)から離れてはいられない。
そんなことは不可能だ。
~略~
わたしが真のあなたがたの姿を把握しているかぎり、結局は真実が支配することになる。

神との対話1 P61~62

これまで長く脅かされていた地獄が存在しないことを知ったニールさんは、ここで「報いがない」ことに対して怖れを感じたようです。
報いがなければ、まるで無法地帯のように、人や自分が自己中心的なふるまいをする世の中になるのではないか?という懸念から出た質問を、神さまにされました。

地獄が存在しないなら、誰でもしたいようにして、好きなように行動し、報いを恐れないで何でもできるということなのでしょうか。

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