40.神との対話【解説】P63~64 自然の法則①「自然の法則とは」
前回神さまは、地獄がなくても人は善良に生きられるだろうこと、そして私たちがどのように生きようとも神が私たち人間を罰するはずがないことを、話してくださいました。
ところで、62ページでニールさんがした質問は以下の通りでした。
でも、地獄がないのなら、わたしはしたいようにできる、好きなように行動できる、報いを恐れずなんでもできるということですか?
神との対話1 P62
この質問への神さまの返答は、「自然の法則」というものに触れていらっしゃいます。
それは「法則」として、必ず起きてくるものごとのことです。
あなたのさっきの質問に対する答えはイエスだ。
神との対話1 P62
あなたは報いを恐れずに好きなことをしていい。
だが、その行為の行き着く先を心得ておくほうがいいだろう。
行き着く先とは結果である。
自然のなりゆきとして起こることだ。
報いや罰とは全く違う。
結果は結果にすぎない。
自然の法則に従い、起こしたことを受けて当然に生じることだ。
以前、カルマのことを少しお話しました。
「自分で蒔いた種は自分で刈り取らねばならない」ということわざも、よく言われることです。
他人にしたことが自分に返ってくるということを含めて言っていますが、こうしてカルマがあることで、自分の行為の結果他人が感じた気持ちを、自分自身も知るようになっています。
しかしここでは、神さまは、ただカルマのことを言われているのではないようです。
神さまは「自分の行為の行き着く先(結果)を考えていなさい」と、言われています。
私たちがある行動を選択し、それをおこなっていたら、自然のなりゆきとして必ず起きること(結果)があるとのことです。
それを神さまは「自然の法則」と呼ばれています。
すべて物質的な生命は自然の法則に従う。
神との対話1 P62
この法則を思い出して適用すれば、物質的なレベルでの生命は支配できる。
あなたがたの目には罰と見えるもの、あるいは悪とか不運と思われるもの、それは自然の法則の結果でしかない。
「自然の法則」を適用して結果を考えつつ行動を起こすことで、私たちは困難に陥ることがなくなるのでしょうか?
神さまは以下の通り、答えていらっしゃいます。
あなたの言うような「困った」ことにはならないだろう。
神との対話1 P63
どんな状況でも、それを問題だとは考えなくなるだろう。
恐れおののくような状況にはぶつからないだろう。
すべての心配や疑い、不安に終止符が打たれるだろう。
~略~
それでもあなたはあらゆる自由と喜びを味わい、いずれ霊としての知恵と理解と力が備わるだろう。
充分に自分らしさを実現して生きられるだろう。
「『自然の法則』を適用して、結果を考えつつ行動を起こすこと」そうすればすべての苦しみが消えて、安心と自由と喜び、知恵と理解と力が得られるようになると、神さまがここで言われています。
神の一部として生きる私たちが、充分に自分らしさを実現して生きられると約束された神さまは、64ページにて、ご自分の完璧さを雪の結晶や存在するすべてのもののデザインの完璧さで説明されました。
雪のひとひら以上に完璧なものを見たことがあるだろうか?
神との対話1 P64
その精妙さ、デザイン、対称性、ひとつひとつが雪の結晶としてあるべき姿を保ちながら、同時に個性的でもある。
そして私たちの「頭」では、このように精妙で完璧な神の真実(宇宙の法則)について、その意義を想像することも理解することもできないだろうと言われました。
けれども人間の理解力をはるかに超えた複雑で特別な”意義が存在する”ということは、わかるだろうと、言われました。
シェイクスピアはいみじくも言った。
神との対話1 P64
「天と地のあいだには、おまえの哲学では及びもつかないことがあるのだ」と。
私たちが「自分には理解できないことがある」ということを知り、受け入れることは、実は大切なことです。
「すべてを知っている」という気になってしまえば、その人は成長を止め、人に対しても尊大になってしまいます。
それでは、頭で考えても分からない「自然の法則」というのは、どうすれば知ることができるのでしょうか?
繰り返しますが、「『自然の法則』を適用して結果を考えつつ行動を起こすこと」そうすれば、安心と自由と喜び、知恵と理解と力という、私たち人間の誰もが望む感情やパワーが得られるのです。
ニールさんは、どうすれば自然の法則を学べるのでしょうかと神さまに質問されました。
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