45.神との対話【解説】P69~70 自然の法則⑥「正邪の判断」

45.神との対話【解説】P69~70 自然の法則⑥「正邪の判断」

前回、私たちの成長や拡大、栄光へのプロセスについて、それが自分の魂によって完璧に設定されていることが説明されました。
私たちはその中を自由に歩いたり走ったり選んだりして、確実に成長を続けています。
そして私たちの”魂の選択”も”自由意志”も、その歩む道は、神さま(宇宙)によって尊重されています。

この話を神さまから聞いたニールさんは、誰かが病気や災害など困難な状況に陥ったとしても、それはその人の魂の選択なのだから「助けて」と求められるまでは助けてはいけないのではないかと疑問に感じて質問しました。

個人個人が絶望して助けてくれと叫ぶのを、あるいは国民が援助を乞うのを待って、それからでなければ、明らかに正しい行為(助けてあげること)も許されないというのでしょうか。

神との対話1 P69

神さまの答えは以下の通りです。

答えは問いのなかにあるではないか。
ものごとが明らかに正しいのなら、それをするがいい。

神との対話1 P69

以前、P51で「なぜ辛いことが起きるのか」を説明したときに、神さまが話しておられました。

災難を目の前にすると、そこで「自分が何者であるか」を決めることが私たちにはできます。

誰かを助けたいという気持ちに従って、私たちは自分が「正しい」と感じることを素直にすると良いのです。
そうすることで、私たちは自分の人生に何かを創り出すことができます。
善い行いをした自分、善いものを創造した自分、あるいは創造を支えた自分になれます。

ここで神さまは、私たちが思う「正邪」について、お話してくれました。

だが、何かを「正しい」と考え、何かを「間違っている」と考えるのは、一方的な決めつけだということを覚えておきなさい。
ものごとは、あなたがそう言うから、正しいとか間違っていることになるのであって、それ自体に正邪はない。

神との対話1 P69-70

一般的に、正しさの押しつけは良くないと言われています。

自分の正しさを貫くために、誰かを非難してやっつけたり戦いを挑んだりすることが、「正しい」と思えないことはたくさんあります。
子どものしつけでさえ、それが正しいのか間違っているのか不明確です。

戦争も正しさの押しつけあいと言えるでしょう。

ここで神さまは「ものごとに正邪はない」と、はっきりと言われました。
私はそのことを、よくよく自分に言い聞かせる必要があると考えています。

「正しい」とか「間違っている」とかは、ものごとの本質ではなく、個人の主観的な判断だ。
その主観的な判断によって、あなたは自らを創り出す。
個人的な価値観によって、あなたは自分が何者であるかを決定し、実証する。

神との対話1 P70

起きるものごとはすべて中立していて正邪がないことが真実だとしても、
わたしたちはものごとに「正邪の判断」をつけ、その思いや感情から自分の行動を決めていきます。

自分の基準でそれが間違いだと思うなら、その場所から離れたり、あるいは自分のもつ意見を言ってみたり、愛や誠実さをもって正すことができそうなら正します。
自分の基準で正しいと感じることをします。
それには勇気が必要な場合も、たっぷりの優しさや親切心が必要な場合もあります。

確かに神さまが言われるとおり、私たちは個人的な価値観によって、自分が何者であるかを決めています。
「助ける。助けない」という今回のお話の場合、明らかに困っている人を助けることは…私たちの判断基準では正しいことです。

ここから、なぜ今のような問題が山積みの世界が存在するのかを、神さまは説明されました。

その(正邪の)判断をくだせるように、いまのような世界が存在している。
世界が完璧になったなら、自分を創造するプロセスとしての人生はそこで終わってしまう。
明日、訴訟がなくなれば、弁護士はやっていけなくなるだろう。
明日、病気がなくなれば、医師もいらなくなる。
明日、疑問がなくなれば、哲学者もいらない。

神との対話1 P70

問題がある世界だからこそ、自分(の栄光)を創造するプロセスとしての人生があるとのことでした。

問題に対してどのような反応をするかどうかは、自分たちにまかされています。

それでも私は、地球上からあらゆる問題がなくなればいいのにと、思います。
きっと多くの人たちも同様に思い、それぞれの価値観で行動を起こしたり、あるいは起こさなかったりするのでしょう。

それでは、
明日、問題がなくなれば、神もいらなくなるんですね!

神との対話1 P70

 と、ニールさんが続けました。

明日、弁護士も医師も哲学者もいらなくなればいいと、私は思います。
そして、これからどんどん、そのような世界へと移行していくように感じています。

”神もいらなくなる”とニールさんが言ったのは、「ひとが神の救いを必要としなくなる」という意味です。

今の時代、私たちはようやく自分が”神”あるいは”神の一部”であることに意識を向け始めています。
私たちのなかにある不思議な力…洞察力や直観や愛の力というものに気付き始めているのです。

本当に目覚めれば、私たちは神が必要ではなくなるでしょう。
なぜなら、自分自身が神だということがわかるからです。

ここから神さまは、世間に存在する「問題」について、お話を続けられました。

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