52.神との対話【解説】P88~91 性やお金について~その常識は正しいのか~

前回、神さまは、善として存在しているものだけではなく悪と呼ばれるものをも、神は愛していると教えられました。
善悪は対立するものではなく、悪があるから善を知り経験できるというように、すべては相対性のためにあり、かつ神の計画のなかにあることを教えられました。
このことは、中国の陰陽学説とリンクします。
陰と陽の両方が存在することで、世界は成り立っています。

私たちのもつ幼さや弱さ…悪や罪と感じることも、すべて神に愛されています。
はじめてこの部分を読んだとき、罪悪感を持っていた私自身、どれほど安心したか知れません。

また、私たち人間は私たち自身がもつ「価値観」を大事にすると良いとも、神さまが言われました。
これは、私たち個人が、悪と感じることをも愛する必要がないということです。

そして、もしも自分が「幸福ではない」と感じる時には、どのような価値観や思い込みが自身の幸せを邪魔しているのか、ひとつずつ見直し、検討するようにと、アドバイスされました。

あなたの価値観が間違っていると言ったのではない。
しかし、正しいとも言わなかった。
それは、ただの判断だ。評価すること、価値を決めることだ。
しかも、たいていの場合、その決定はあなたがたではなく、誰か他人が決めている。
あなたの親かもしれない。宗教かもしれない。教師、歴史家、政治家かもしれない。

あなたが真実だと思っている価値判断のなかで、体験にもとづいたものはごくわずかしかない。
あなたがたは体験するためにこの世に生まれ、その体験を通じて自分を創りあげるはずだった。
ところが、他人の体験から自分を創りあげている。

罪というものがあるとすれば、これがそうだろう。
他人の体験で自分を創りあげてしまうことだ。

神との対話1 P88-89

確かに、私たちは学校へ行って先生や教科書から学んだり、
いつの間にか親の体験を受け入れたり、「歴史から学べ」と言われたりして、
世間の常識から外れないようにと教えられてきました。

何が「正しい」のか知らない小さな子どもたちは、大人(親)が言うことを正しいことと思い込み、
自分の価値や判断基準にします。
似たような考え方、似たような行動をとろうとします。
しかし、大人のもつ考えがすべて正しいのかと言えば決してそうではありません。

神さまは、ここで二つの例をあげました。
「性」と「お金」について、です。
二つとも一般的に「悪」のように扱われてきましたが、実際はそうではないことが体験から解るだろうと、お話されています。

誰でも、性的体験が人間の行為のなかで最も愛すべきで、胸躍る、力強い、昂揚する、新鮮で、エネルギッシュで、前向きで、親密で、一体感のあるものだと知っている。
それなのに、あなたがたは他人が考え出した性に関する判断、見解、考えのほうを受け入れる。
その他人は、自分が得になるから同じ判断をさせたがるのだ。

神との対話1 P89

性的行為はいやらしく、卑猥であり、まともでない行為として教えられてきた人は、たくさんいることでしょう。
”罪なこと”であり、”間違い”だと教えられます。
そうして素直に花開くはずだった「性」への欲望は、押し込められ歪められて、実際に罪や間違いとして存在するようになってしまいます。

しかし神さまは、性の素晴らしさを上記のように書いていらっしゃいました。
性的行為は、人の愛が生み出す創造性を意味する代表的なものであり、素晴らしい行為であるはずなのです。

今の時代になって、夫婦間や恋人同士のスキンシップなど、性行為の大切さが主張されてきていますが、かつてはたくさんの人たちが確かにそれを「悪」とみなしていました。

性行為というのは、「自分自身や愛する人を大切にする」ということを学べる大きなきっかけになると、私には思えます

金銭についても、同じことだ。
大金を持つたびに、あなたはうれしくなった。
大金を受け取れば喜び、使うと楽しくなった。
それは悪いことではない。
それ自体が悪であること、本質的に「間違っている」ことは何もない。

神との対話1 P89

今でも、「稼ぐ」「富を得る」ことに対して、それが悪いことのように感じている人は数多くいらっしゃると思います。
”悪どく稼ぐ”と言う言葉もあるように、誰もが喜ぶようなお金の稼ぎ方や使い方をしなかった人たちが大勢いたのも、事実なのでしょう。
けれども金銭的に豊かになることも、それを使って喜びを感じることも、やはり「物や自分自身や他人や社会を愛する、大切にする」ということを学び成長できる、大きなチャンスなのです。

ほかにも神に対する一般的な考え方や儀式について、
”そうしたことは昔から支配者が人民に求めてきた態度だ”
として、決して神ご自身が人類に求めている態度ではないことを教えていらっしゃいました。

このように、”ほかの人の教え”が私たちの中に深くしみこんでいるため、”自分の体験”や”素直に感じること”を否定してしまうのだそうです。
神さまは私たちがもつ一般的な価値観…常識とされる考え方の中には、再考する必要があるものがたくさんあることを教えてくださいました。

私たちが「自分は幸せではない」と思う時、自分の経験とは合致しない間違った思い込みをもっている可能性があります。
その考えのために、自分を不自由にさせ、傷つけ、苦しめている可能性があるのです。

例えば、「恥ずかしい」という思いは、他人から植え付けられ、育てられる感情です。
それは、力をもつ存在(親・教師・友人)の悪意や支配欲などから教えられてしまうもので、子どもは恥ずかしさを感じ、それが正しい感情だと思ったとたんに自分の力を失います。
恥ずかしくないように行動しようとし、自分らしさを失い、「完璧さ」を求めてそれに近づくよう頑張ろうとするでしょう。
「完璧にできないなら、やらないほうがマシ」という信念さえ生み出してしまい、引っ込み思案になり、身動きがとれなくなる人もいらっしゃるかも知れません。

”恥ずかしさ”の正当性が、もてはやされたことがありました。
「恥を知る」必要がある人も世の中には存在するのでしょうが、
恥ずかしさで自分を苦しめている人も、数多く存在しています。
自分の心を「恥」でいじめるのをやめて、「大丈夫。私は一生懸命やってるよ」と自分を許し、解放させてあげる必要がある人がたくさんいらっしゃいます。

神さまが言う”「そう考えている自分」では幸福ではないとき”を、多くの人が通過します。

だからこそ、「信念や価値観を検討する」のが良いと、神さまは言われました。

あなたが幸福かどうか知っているのは、あなただけである。

神との対話1 P88

あなたを傷つけているのは、他人ではなく、あなた自身の可能性があります。
大人になった今、あなた自身がその思い込みを手放すことができるのです。

繰り返しますが、もしも「幸福ではない」と感じるなら、あなたの思い込みや価値観を検討しましょう。
ここに例に上がった「性」、「お金」、「恥」以外にも、あなたを苦しめる「観念(信じていること)」が見つかるかも知れません。

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