54.神との対話【解説】P92~97 今の聖書ができるまで

前回、神の欲求(願い)と姿勢について、5つ述べられました。
宇宙の創生のときにも学びましたが、改めて神の願いが人間に託されていることがよく分かりました。
私たちの体験・経験を通じて、神さまはご自分を経験されるのです。

私たちは、エゴという…地球上で生きるのに必要なフィルターをもっています。
そのエゴが、心をぎゅっと”観念(思い込み)”で縛って閉じ込められた世界で生きることをうながすので、ハイアーセルフと繋がることが難しくなっています。
しかし神さまは、私たちは必ずハイアーセルフと繋がることができると約束してくださいました。

その時には、常に充分に満たされていることを知りながら生き、
大きな喜びと愛と受容と祝福と感謝を感じることになるそうです。
そのような感情の中で、私たちはたえまなく喜び、創造し、拡大していくことになります。
そしてそれは、神の願いが私たち人間によって叶えられている瞬間でもあります。

ここでニールさんは、欠陥だらけの自分が神さまと対話していることを、厚かましくて「狂気のさた」ではないかと感じていることを神さまに伝えました。

そうか。
聖書の執筆者はすべて正気だったが、あなたは狂気だというわけか。

神との対話1 P93

ニールさんは、聖書の執筆者は自分とは違って、キリストに近いところにいた生き証人で見聞きしたことを忠実に書き留めたのだと神さまに話しましたが、神さまがそれを訂正しました。

訂正しよう。
新約聖書の執筆者のほとんどは生きているキリストを見たことも、会ったこともない。
彼らはイエスが地上を去ってから何年もたって生まれている。
彼らはナザレのイエスに道で会っても、気づかなかっただろう。

神との対話1 P93

続けて、聖書の執筆者たちのことを“偉大な信者で偉大な歴史家”だったと言われ、
聖書については以下のようにお話しされました。

1.聖書の執筆者の知っていたことすべてが、聖書に収められたわけではない。

2.イエスの物語のどの部分をどのように語るかを決めた人々が、すでに存在していたために、
情報の取捨選択、編集のプロセスが、聖書が出版されるまで続いた。

3.元の聖書が書かれて何世紀か過ぎたあとでも、カトリック教会の公会議によって、聖書にどの教義と真理を収めるかが決められた。
どの教義が「不健康」で「時期尚早」かが会議で決められ、それらは大衆に知らせてはならないこととされて、聖書は改訂されてきた。

4.聖なる書物というものは、他にも存在する。普通の人々がインスピレーションを得て書いたもののなかに存在している。

こうして神さまが私たちに伝えてくださったことから、聖書がイエス・キリストの近しい人によって直接書かれたものではなく、キリストを信仰する教会と人々の手で書かれてきたことが、分かりました。

聖書は人びとの取捨選択の上で書かれ、故意に外されたこと、改訂されたことが何度もあるのです。
聖書の内容でさえ、それが本当に(自分にとって)正しいのか、それを取り入れることで本当に幸せになれるのかと、検討・点検する必要があることに、ここでも気付かされました。

ニールさんはそのように聞いても、ご自分が神と対話する価値があるとは思えないと感じていることを、神さまに伝えました。
神さまは以下のように答えていらっしゃいます。
それは、私たち読者へのメッセージでもあります。

あなたが人生でぶつかるすべての問題の根はそこにある。
あなたは、自分が神に話しかけられるほどの価値があるとは思っていない。
だが、神が話しかけてくるほどの価値はないと信じていたら、神の声を聞こうとか、聞きたいとかもかんがえられないではないか。
よいか、わたしはいま奇跡を行っている。
あなたに話しているだけでなく、この本を手にとり、これらの言葉を読むひとすべてに話しかけている。
そのひとりひとりにわたしは話している。
そのひとりひとりが誰だか、私は知っている。
誰がこれらの言葉への道を見つけるかも知っているし──(わたしのほかのコミュニケーションと同様に)聞いて理解することができるひとも、聞くだけで何もわからないひとがいることも知っている。

神との対話1 P96

今、神さまの言葉に触れているわたしたちのことを、神さまは知っていらっしゃいます。
神さまの言葉を知り、理解し、人生をより良い素晴らしい幸せなものにしようとしている私たちのことを神さまは知っています。

あなたが来たことをわたしは喜んでいる。
わたしはいつも、あなたを助けるためにそばにいた。
いまもそばにいる。
自分で答えを見つける必要はない。
これまでもなかった。

神との対話1 P93

私たちは、たった一人で人生の答えを学んだり知ろうとしたりする必要はないとのこと。
神さまに、いつもいつも愛され、見守られ、助けられ、答えを与えられて生きています。
このまま神さまやハイアーセルフに委ねていっていいのだと、思えます。

この後、ニールさんは神さまに、今書き留めているこの文章を本にして出版しようと考えていると報告しました。
神さまは、それはわたし(神)が思いつかせたのだと、ニールさんに伝えました。
このすばらしい質疑応答のすべてをむだにしないため、とのことです。

ここで第二章が終わりました。
私たちに、常識や思い込み(観念)を検討して必要であれば変えるという、幸せへの切符が与えられました。
すべてを愛する神は、もちろんあなたを愛していますし、そばにいます。
私たちは本当は、孤独ではありません。
第三章も、どうぞお楽しみに。

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