神との対話【解説】P144~147 神は苦しみを喜ばない
前回までの第5章では、「神様が定めたとされている戒律などは存在しない」という説明から始まり、「私たちはすでに神の世界に居ることに気付くように」という説明で終わりました。
確かに、私たちのハイアーセルフ(高いところの自分自身の魂)はすでに神の世界に居て、愛がいっぱいの高い波動で私たちにインスピ―レーションを送ってくれたり、人生を動かすのを手伝ってくれたりしています。
肉体を持ち、集合意識やエゴの中で生きる私たちであっても、ハイアーセルフに近づき、自分自身を高い波動へと近づけることができます。
必ずしも瞑想が必要ではなく、好きなことに時間を忘れるほど夢中になっていたり、高い波動を維持する意志があったりすれば、それはできます。
今日は第6章に入りますが、第6章はたった5ページの短い章です。
ここには苦しみについて、説明がなされています。
この本が書かれた当時、ニールさんは苦しみにさいなまれていました。
怒りや悲しみや罪悪感、孤独感、貧しさなどに苦しんでいたニールさんは、その苦しみの最中の辛い感情を神にぶつけたことから、神との対話が始まって本になりました。
おかげで、この本を読む私たちは、現世に生きる苦しみから解放させられる術を分かりやすく学ぶことができます。
前回、「私たちがすでに神の世界(天国)に行き着いているということに気づくように」と神様からお話があったため、ニールさんは疑問をもちました。
ニールさんは「天国に行くには苦しむ必要がある」と学んでいたのでしょう。
でも神様が言われた通り、すでに神の世界に行き着いているのだと仮定したら、ニールさんがこれまで学んできた「苦行の意味」がなくなってしまいます。
それまでのニールさんにとって、「苦しみは善なるもの」だったと思われます。
そこで”それじゃ、苦しみは何のためにあるのですか?苦行は神への道ではないんですか?”
と、ニールさんは神様に質問しました。
わたしは苦しみを喜ばない。
神との対話1 P144
喜ぶという者がいれば、そのひとはわたしを知らないのだ。
苦しみは、人間経験に不必要な要素だ。
不必要であるだけでなく、賢明でないし、心地よくないし、身体にも悪い。
以上のように、最初に神様の思いが語られました。
それではなぜ、ニールさんはとても苦しかったのでしょうか。
人を我が子として愛し、苦しみを嫌っているはずの神様は、なぜニールさんの苦しみを取り除いてくれなかったのでしょうか。
ここで神様は、苦しみの正体をお話されました。
いいか、苦しみは出来事とは何の関係もない。
神との対話1 P144
出来事に対する反応のなかに(苦しみが)あるだけだ。
出来事はただ起こっているだけだ。
それをあなたがたがどう感じるかは、またべつの問題だ。
この箇所は、宇宙意識であるバシャールさんも以下のように言われています。
出来事に意味はない。
意味を付けるのは、あなたがたの感情だ。
感情は、個人の観念(そうだと思い込んでいること)から、起きる。
出来事に意味を付けるのはあなたがた自身であり、
元々の意味はない。
確かに、出来事と感情とを切り離して考えることができれば、すべてのことに意味がなくなります。
結婚式などの悦びごとも、「うれしい」「素敵だ」と感じられると確かに素晴らしく良いことですし、
同じ悦びごとであっても「腹が立つ」「うらやましい」と感じればその人にとってイヤなことになるのです。
そう考えると、出来事に意味を付けているのは確かに私たちの感情と、感情を作り出す観念(思い込み)です。
続けて神様はニールさんに、
「痛みを減らし、なくしてしまうやり方を与えたのに、あなたがたはそれを使ってこなかった」と言われました。
私自身は「痛みを減らし、なくしてしまうやり方」の方に興味があるのですが、
ニールさんはここで神様に、
「すみませんが、なぜ出来事のほうをなくしてくれないのですか?」と聞きました。
出来事がなくなれば苦しみから解放されるのだと、普通に思われたのでしょう。
神様は以下のように答えられました。
残念ながら、それはわたしにはコントロールできない。
神との対話1 P145
出来事は、あなたが選択して創り出した時間と空間のなかで起こる
──わたしはその選択に決して介入できない。
そんなことをしたら、あなたがたを創造した意味がなくなってしまう。
だが、このことはすでに説明した。
神様が私たちに起きる出来事をコントロールできないと言われる理由は、ここまで神との対話を読んだり、こちらの解説動画を見てくださった方々にはお分かりのことと思いますが、簡単に解説します。
宇宙が創られる前、愛という”思い”でしかなかった神様は”愛の経験”をしたいと望みました。
そこには愛しかなかったので、愛=神という自分自身を分割して、宇宙や人間のいる世界を作り出しました。
愛を経験するために、愛ではないものも創造しました。
こうして私たち人間は、神の一部でありながら自分の選択と意志とで人生を「創造」し、「経験」する存在として生み出されました。
私たちは白を知るために黒を知るというように、自分自身ですべてを選び、経験していく必要がありました。
以上の理由で、私たちが創り出した「経験」(出来事)に、神様は介入できないと言われたのです。
次に引き寄せの法則に関わる説明がありました。
あなたがたはある出来事を意図的に創り出し、ある出来事を──意識的、無意識的に──引き寄せている。
出来事によっては──大きな天災もこのなかに入るが──「運命」として片づけられるものもある。その「運命(fate)」ですら、「偏在するすべての考えから(from all thoughts everywhere)」という言葉の頭文字になる。
神との対話1 P145
言い換えれば、地球という星の意識から生まれる。
私たちには「個人の意識」で引き寄せる(創り出す)ものと、「集合意識」で創り出すものとがあります。
集合意識はその名の通り、個人の意識を集めたものです。
私たちは全員が、自分の意識や波動で自分に起きる出来事を引き寄せ、人生を創っています。
多くの人の意識が「天災」にチャンネルを合わせてしまえば、天災は引き寄せられてしまいます。
今、天災が集合意識によって創り出されていることは、こちらの神様だけではなく、バシャールさんやほかの方々…あちらこちらでお話されています。
天災を引き起こさない方法があるのでしょうか。
ここで神様は、
”思考が行動になれば救える”と、言われました。
私は、意識を天災という「不安」の方に向けるのではなくて、「愛」の方に向ければ良いと考えています。
だから一人でも多くの人が地球を愛するようになれば地球を救えると、考えています。
そうして地球を心から好きでいれば、心に”何か”が情熱として生まれてくるはずです。
地球のために何かしたい、人たちを含むすべての生命の共存のために何かがしたいという思いが、わいてくるのだと思っています。
そして浮かんできた個人の情熱にしたがって、やりたいことをするのが良いと、考えています。
それが神様の言われた”思考が行動になれば救える”ということにつながります。
ここで言う”行動”とは、もしかすると「ご飯を残さないで食べる。」というような日常的でささやかなことかも知れません。その結果、食材 ─地球の資源─ を無駄にすることが減ります。
人によっては「山に登ってみよう」と思い立ち、山に登って朝日を見て自然の美しさに感動し、神聖な気持ちになることかも知れません。
海を思うこともあるでしょう。
何かを発信したくなることもあるでしょう。
地球をもっと美しくしたいと感じ、ゴミ拾いなどの活動を始める人がいて、さらにはクリーンエネルギーに思いを巡らせる人たちもいることでしょう。
人によって「やりたいこと」は異なるのでしょうが、まずは一人一人が地球を好きだと感じ(愛を感じ)て、心に浮かんだ情熱に従うこと。
そうして地球を思いやる意識が広がり続け、そこには愛のある健康的な集合意識が存在することになり、天災は消えていくことでしょう。
お話は「苦しみ」から逸れましたが、次回は再び苦しみについて、ニールさんの質問から始まります。
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